大判例

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神戸地方裁判所 平成元年(ワ)1709号 判決

原告

内藤健二

被告

盛田美枝子

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自、金一四〇九万二三三六円及びこれに対する昭和六三年八月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の、その三を被告らの各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一原告の請求

被告らは、原告に対し、各自、金二五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年八月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (本件事故の発生)

次のとおりの交通事故(以下「本件事故」という)が発生した。

(一) 日時 昭和六三年八月五日午前七時三〇分頃

(二) 場所 兵庫県明石市西新町二丁目一四番二八号先路上(以下「本件道路」という)

(三) 加害車両 被告盛田美枝子(以下「被告美枝子」という)運転の普通乗用自動車(以下「被告車」という)

(四) 被害車両 原告運転の自動二輪車(以下「原告車」という)

(五) 態様 本件道路を西進していた被告車が左方の側道に進路変更を開始したところ、同車にその後方から進行してきた原告車が衝突。

2  (被告らの責任)

(一) 被告美枝子は、被告車を運転して本件道路左方の側道に進路を変更するに当たり、自車左後方の後続車両の有無とその安全を確認すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、漫然と時速約一五キロメートルの速度で左方に進路変更をした過失により、本件事故を惹起したものであるから、民法七〇九条に基づき、原告が本件事故によつて被つた損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告盛田拡光(以下「被告拡光」という)は、本件事故当時、被告車を自己の運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、原告が同事故によつて被つた損害を賠償すべき責任がある。

3  (原告の受傷と治療経過)

(一) 原告は、本件事故の結果、頭部打撲、頸部捻挫、右肘左手背部挫創、右股関節部打撲の傷害(以下「本件傷害」という)を負つた。

(二) 原告は、本件傷害の治療のため、井元外科において、昭和六三年八月五日から同年一〇月三一日までの間入院し(八八日間)、同年一一月一日から平成元年二月一三日までの間通院した(実治療日数四八日間)。

4  (後遺障害の存在)

原告の本件受傷は、平成元年二月一三日に症状固定となつたが、上肢の振戦と把持困難、跛行と歩行障害等の後遺障害が存在するため、原告は、同年二月二〇日身体障害者福祉法における身体障害者障害程度等級(以下「身体障害者等級」という)三級に該当する旨の認定を受け、その後、平成三年三月二〇日には同等級二級に該当する旨の認定を受けた。

5  (損害)

原告は、本件事故の結果、以下のとおりの損害を被つた。

(一) 治療費 金七三万〇一五〇円

(二) 通院交通費 金四万六〇八〇円

(三) 入院雑費 金六万一六〇〇円

(四) 休業損害 金一六五万二二四六円

原告は、本件事故当日の昭和六三年八月五日から前記症状固定日の平成元年二月一三日までの合計一九三日間について休業を要したところ、原告の昭和六二年における年収は金三一二万四七一五円であつたから、これを基礎に計算すると、その間の休業損害額は金一六五万二二四六円になる。

(五) 後遺障害による逸失利益 金四四〇七万〇三五五円

原告は、前記症状固定当時満四六歳であつたが、前記後遺障害のため、就労することはもちろん、外出や書字さえできな状態にあり、今後就労可能な満六七歳までの間の二一年間について、その労働能力の一〇〇パーセントを喪失するに至つた。

そして、原告の前記年収額を基礎とし、中間利息の控除につき新ホフマン計算方式を用いて前記後遺障害による逸失利益の現価額を算定すると、金四四〇七万〇三五五円となる(新ホフマン係数は一四・一〇三八)。

(六) 慰謝料 合計金三六七万円

(1) 傷害による入通院慰謝料(金一五八万円)

(2) 後遺障害による慰謝料(金二〇九万円)

ただし、原告は、本件事故前に身体障害者等級四級に該当する旨の認定を受けていたから、本訴においては、後遺障害による慰謝料として、同事故後に認定された同等級三級との差額分として金二〇九万円を請求する。

(七) 弁護士費用 金二五〇万円

(八) 以上の損害額を合計すると、金五二七三万〇四三一円となる。

6  (損害の填補)

原告は、本件事故による前記損害につき、治療費として金七三万〇一五〇円、損害保険から金二一六万五〇五六円及び健康保険傷病手当金一〇五万一一二二円の各支払を受け、その合計額は、金三九四万六三二八円となるが、これを前記5項の損害合計額から差し引くと、原告の損害額は、金四八七八万四一〇三円となる。

7  よつて、原告は、被告ら各自に対し、損害賠償として、右損害額の内金二五〇〇万円及びこれに対する本件事故発生日である昭和六三年八月五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実中、被告美枝子が本件道路左方の側道に進路を変更するに当たり左後方の後続車両の有無とその安全を確認すべき注意義務があつたことは認め、その余の事実は否認する。

(二)  同2(二)の事実は認める。

3  同3の事実は認める。

4(一)  同4の事実中、原告の症状固定日に関する事実と原告について手の振戦と歩行障害が存在することは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  原告は、本件事故以前から、シヤルコ・マリー・トウース病(以下「CMT病」という)に罹患していたところ、原告主張の後遺障害のうち、手の振戦については同事故前から症状が存在しており、その原因は不明とされている。また、歩行障害については、CMT病による下肢の筋力低下とこれに起因する膝関節症、さらに加齢が加わつて生じたものというべきである。

したがつて、原告主張の後遺障害と本件事故との間の因果関係は認められない。

(三)  なお、原告は、自賠責保険の事前認定手続において、後遺障害について非該当との判定を受けている。

5  同5の事実はすべて争う。

6  同6の事実は認める。

三  抗弁

1  既往症の寄与

仮に、原告主張にかかる後遺障害と本件事故との間に何らかの因果関係が存在するとしても、前記のとおりCMT病が大きく寄与していることは明らかであるから、原告の損害額の算定に当たつては、右既往症の寄与を相当程度斟酌して減額すべきである。

2  過失相殺

本件道路は、国道二号線であるが、本件事故現場の西行車線を西進する車両の中には左方の側道に進路を変更する車両は多いのであるから、原告としては、被告車の左後方を西進するに当たり、同車を認め、被告美枝子の行つた左折合図を認めていたはずである以上、減速等の事故回避措置を採るべき注意義務があつたといわなければならないところ、原告は、これを怠つて漫然と進行した結果、本件事故に遭つたのである。

したがつて、本件事故の発生については、原告の右過失が寄与しているから、損害額の算定に当たつては、四割程度の過失相殺をすべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(既往症の寄与)の事実は否認する。

CMT病は、一般に、急激に症状が進行する病気ではなく、日常生活に支障を来すことはないとされているのであるから、本件の原告のように、通常人と同様の就労をしに日常生活を送つていた者が、急に同病のために全く就労できなくなるというようなことは考えられず、本件事故後に生じた前記重篤な症状は、既往症であるCMT病によるものではなく、すべて同事故によつて負つた本件受傷に基づくものであり、既往症の寄与というような考え方を採用すべきではない。

仮に、既往症の寄与というような考え方を採用するにしても、その寄与の割合は大きなものではなく、せいぜい三分の一以下にすぎない。

2  抗弁2(過失相殺)の事実は否認する。

被告美枝子は、左折合図時及び左折開始時において後方の安全確認を怠つた結果、左後方を走行していた原告車を発見できず、そのために本件事故を惹起したのであるから、その過失は重大である。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  被告らの責任について

1  請求原因1(本件事故の発生)及び同2(二)(被告拡光の運行供用者責任)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  次に、被告美枝子の責任について検討するに、まず、同被告が本件道路左方の側道に進路を変更するに当たり左後方の後続車両の有無とその安全を確認すべき注意義務があつたこと自体は当事者間に争いがない。

そして、前記争いのない本件事故発生の態様に関する事実及び証拠(甲二号証の二ないし四)を総合すると、被告美枝子は、左方の側道に入るために進路を変更するに当たり、左後方の後続車両の有無の確認を十分に行わなかつたため、被告車の左後方を走行していた原告車に全く気付かなかつたことが認められる。

以上によれば、被告美枝子は、前記進路変更に当たり、左後方の後続車両の有無とその安全を確認すべき注意義務を怠つた過失によつて、本件事故を惹起したと認められるから、同被告は、民法七〇九条に基づき、原告が同事故によつて被つた損害を賠償する責任があるというべきである。

二  原告の本件事故後の症状と本件事故との因果関係について

1  まず、請求原因3(原告の受傷と治療経過)の事実及び同4(後遺障害の存在)の事実中、原告が平成元年二月一三日に症状固定とされたこと、原告には手の振戦及び歩行障害が存在することは、いずれも当事者間に争いがない。

2  原告の本件事故前後における症状、治療経過と就労状況等右争いのない事実に証拠(甲三ないし七号証、八号証の一・二、九ないし一二号証、一三号証の一・二、一四、一五号証、一六号証の一・二、一七号証、一八号証の一・二、一九号証、乙二号証の一ないし三〇、三号証の一ないし四、四号証の一ないし三、五号証の一ないし一四、八号証の一ないし一〇、九号証、一〇号証の一ないし四四、一三号証の一ないし二一、一四号証の一ないし五、証人伊東隆一医師(以下「伊東医師」という)及び同名迫行康(以下「名迫医師」という)の各証言、鑑定の結果、原告本人の供述)と弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)(1)  原告(昭和一七年三月二七日生)は、岡山県内において、定時制農業高校卒業後、家業の農家の手伝いをした後、昭和四〇年頃以降、大阪や神戸において、溶接業や機械の組立ての仕事に従事し、昭和五五年八月頃から株式会社保田工作所に勤務するようになつた。

(2)  原告は、同社において、当初は歯車や農耕用エンジンの組立て作業に従事し、次いでスノーモービルエンジンの組立て作業に従事したのち、本件事故当時(昭和六三年八月当時)においては、自動二輪車を運転して通勤の上、シリンダーの鋳物の型造り作業に従事しており、ひととおり通常の勤務(肉体作業や手作業)をこなし、夜勤も行つていた。そして、原告は、余り駆け足をすることはできなかつたものの、日常の起居動作等にさしたる支障を感ずることはなかつた。

(二)(1)  ところで、原告は、昭和五七年(満四〇歳)頃、左膝の不具合を訴えて舞子台病院整形外科を受診したことがあり、また、階段の昇降時等に歩行障害があつたため、同年六月一〇日、神戸大学医学部付属病院(以下「神大病院」という)第三内科を受診し、同病院で約二か月間にわたつて入院して神経生検等の諸検査を受けた結果、下肢末梢の知覚障害、上肢末梢及び下肢末梢の筋萎縮等が認められたことから、CMT病に罹患している旨診断された。

(2)  そして、原告は、同年九月には、神戸市から、CMT病による両下肢筋力低下、両下肢遠位筋萎縮の障害があるとして、身体者障害等級四級に該当する旨の認定を受けた。

(3)  なお、神大病院の医師が作成したカルテ中の書類には、原告のCMT病発症の経緯につき、小学校時代から軽い両下肢の筋力低下があり、昭和五四年頃から階段の昇降に手すりが必要になるなど同筋力低下が著明になつた旨の記載部分がみられる(乙一三号証の一一・一二・一六)。

(三)(1)  原告は、その後、神大病院の紹介に基づき、昭和五九年一月一八日以降舞子台病院神経内科に通院して治療を受けるようになつた。

(2)  原告の治療に当たつた伊東医師は、初診時に、原告の症状から、神大病院の紹介どおり両上下肢の痺れ感と筋萎縮を認め、握力検査では、右手一八キログラム、左手二一キログラムであり、一般男子の約半分程度であつた。

同医師は、同年三月頃の診察時には、原告の両上肢に少しのけいれんと下肢の痺れ感による少しの歩行障害を認め、腱反射の低下を認めた。

(3)  原告は、さほど症状が悪化しないことや投薬の治療効果が目立つて現れなかつたためにか、同年七月頃までの間、せいぜい月一回程度の割合でしか同病院に通院せず、その後は昭和六一年六月に同神経内科を、昭和六二年三月に同整形外科を受診した程度であつた。

(4)  その後、伊東医師は、昭和六三年五月二日に久々に原告を診察した際には、左手の振戦の幅が大きくなつていることと、歩行時に多少のふらつきがあるものの、下肢の筋萎縮はそれほど進行していないことを感じた。

(四)  原告は、同年八月五日、前記のとおり、本件事故によつて負つた本件受傷(頭部打撲、頸部捻挫、右肘左手背部挫創、右股関節部打撲)のために井元外科に入通院して治療を受けたところ、その間、頭痛や頸部痛、腰部痛、股関節痛等を訴えていたが、同病院の担当医は、入院当初から、原告の左上肢に大きな振戦がみられることをカルテに記載している(乙二号証の五・六・九)

(五)(1)  原告は、井元外科退院時頃から、左手の振戦が悪化するとともに、右手の振戦が明らかになつたほか、両下肢の痺れや左膝関節痛、足関節痛が悪化してきたため、同年一一月一六日以降、再び舞子台病院に通院するようになつた。

(2)  そして、伊東医師は、右同日の原告の症状から、前記(三)(4)の診察時よりも上肢の振戦がひどくなつており、両下肢の筋力低下がみられるように感じたため、原告に対し大学病院での検査を勧めた。

(3)  原告は、同月末頃以降、しばらくの間神大病院に通院して検査等を受けたほか、舞子台病院には、その後月二回くらいの割合で通院して治療を受けているが、これらの診察、検査結果等によれば、頭部には異常が認められず、下肢の筋萎縮もさほど進行していないとされている。

(4)  また、原告は、左膝関節痛につき、井元外科の通院時や舞子台病院整形外科の通院時に、関節穿刺を受けており、同整形外科においては左変形性膝関節症との診断を受けている。

(六)  同年一二月頃以降現在までの間、原告の上肢については、振戦が徐々に悪化しており、特に左手が常時振戦し、食事や書字が困難であり、また、下肢についても、脱力と左膝関節痛等のため、杖がないと外出ができず(それも膝を屈曲しての跛行)、屋内の移動も壁をつたうことが必要であり、ズボンの着脱が独りでできないなど、立位の保持と歩行に著しい支障が生じており、全く就労していない。

(七)  なお、原告は、平成元年二月一〇日、神大病院の担当医の診断書等に基づき、神戸市から、CMT病による両足関節、左膝関節機能の著しい障害、両股関節機能障害及び両手関節、両手指機能障害を理由として、身体障害者等級三級に該当する旨の認定を受け、また、平成三年三月二〇日には、伊東医師の診断書等に基づき、CMT病による体幹の機能障害により歩行困難、両手指機能の著しい障害を理由として、同等級二級に該当する旨の認定を受けている。

2  CMT病の病像等

次に、原告が罹患していたCMT病の病像等について検討するに、証拠(乙二号証の四、六号証の一・二、一五号証の一ないし三、伊東医師及び名迫医師の各証言、鑑定の結果)によると、次の各事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  CMT病は、一般に、四肢特に下肢の遠位部の筋萎縮及び筋力低下を主症状とする末梢神経系の遺伝性の変性疾患であるとされており、遺伝歴のない孤発例も存在する。そして、同病は、一〇歳から二〇歳代に発症することが多いが、その進行は極めて緩やかで、殆ど進行を示さないようなこともある。

(二)  筋萎縮は、次第に上肢にも及ぶが、その分布は遠位部に限られる。

下肢の筋萎縮ついては、大腿の下三分の一以下に限定されるため、典型的な場合には「逆シヤンペンボトル型」の足形になる。知覚低下がみられることがあるものの、歩行等の運動機能にはさほど支障がなく、装具着用等によれば日常生活への影響は大きくない場合が多いとされている。

また、一般に、上肢については振戦が生ずることはないとされている。

(三)  同病の治療については、現在のところ、別格有効な方法はないとされている。

また、転倒事故や交通事故等によつて加わる外形力が同病の進行を加速する等の影響を直接与えるものかどうかは、明らかではないとされている。

(四)  ところで、研究者の中には、CMT病の亜型として、ルツシイ・レヴイ病(以下「RL病」という)を挙げる者がいるところ、一般に、RL病は、小児期に発症し、四肢遠位部の筋萎縮や筋力低下が徐々に進行するほか、主徴として、手の振戦がみられるとされている。

3  上肢の振戦と把持の困難

(一)  原告は、前記上肢の振戦と把持の困難(以下「本件上肢の振戦」という)は本件事故によつて生じたものである旨主張するので、この点について検討する。

(二)(1)  前記1で認定した事実関係によると、本件上肢の振戦は、その主張のとおり、本件事故後に著しく増悪したということができるが、それ以上に、本件上肢の振戦と本件事故との間の相当因果関係の存在については、本件全証拠を仔細に検討しても、これを肯認するには至らないといわなければならない。

(2)  かえつて、本件上肢の振戦に関しては、次のような事情が認められる。すなわち、

ア まず、前記1で認定した事実関係に基づくと、原告は、昭和五九年当時において、神大病院や伊東医師のもとにおいて、既に上肢末梢の筋萎縮、両上肢の少しのけいれんや握力低下を診断されていたこと、また、伊東医師は、本件事故の約三か月前である昭和六三年五月の時点で原告を診察した際、左手の振戦の幅が以前よりも大きくなつていると感じていたこと、原告が本件事故によつて負つた上肢の傷害は、右肘左手背部挫創にすぎなかつたことが認められる。

イ また、証拠(甲七号証(乙九号証、一〇号証の三))によると、神大病院において昭和五九年一月頃に原告の治療に当たつた春藤文子医師は、原告に対し、その当時、既に細かい作業を避けるように勧めていたことが認められ、さらに、証拠(甲一一号証(乙一〇号証の四、一三号証の一五)、乙一三号証の一三)によると、その後同病院で原告の治療に当たつた陣内研二医師は、本件上肢の振戦について、前記頭部の検査結果等に照らしてその原因が不明であるとし、神経原性変性疾患であるCMT病に合併して生ずることがあり得るとの所見を持つたことが認められる。

ウ そして、証拠(名迫医師の証言、鑑定の結果)によれば、名迫医師は、原告が罹患しているCMT病につき、その発症時期と筋萎縮の進行状況や上肢の振戦の存在等から、RL病の要素を持つ、あるいはRL病に近いCMT病ではないかと考えているが、上肢の振戦が本件事故後に増悪したことの原因は分からない旨判断していることが認められる。

(3)  右認定の事実を総合して考えると、本件上肢の振戦は、本件受傷による治療期間中に増悪したということができるにしても、これまでの全認定説示に照らすと、本件上肢の振戦の発症原因自体がさほど明確でないばかりか、その後の徐々の進行の原因、本件事故後の増悪について本件受傷がどのような機序や経緯で影響を与えたとみるのかなどについては、原告の立証によつても明らかにされたということはできず、結局、本件上肢の振戦の増悪と同事故との間の相当因果関係を直ちに認めることはできないといわざるを得ない。

(三)  したがつて、本件上肢の振戦と本件事故との間に因果関係が存在するとする原告の前記主張は、理由がなく、採用できない。

4  立位の保持と歩行の障害

(一)  次に、原告は、前記立位の保持と歩行の障害(以下においては「本件歩行障害」という)は本件事故によつて生じたものである旨主張するので、この点について検討する。

(二)(1)  前記1で認定した事実関係によると、原告は、本件事故以前は階段の昇降に手すりを使用したり、少しのふらつきがみられたりする程度で顕著な歩行障害はなかつたものの、本件事故後の井元外科退院時頃以降、両下肢の痺れや左膝関節痛、足関節痛が悪化し、前記のような著しい本件歩行障害が生ずるようになつたということができる。

(2)  そして、右のような歩行障害の増悪に関しては、前記1で認定した原告の本件事故後における症状と証拠(乙一五号証の一・四、名迫医師の証言、鑑定の結果)によると、CMT病による筋萎縮自体はさほど進行していないとされていること、一方、原告は、井元外科等での入通院を通じて本件傷害の治療を受ける中、右股関節痛や腰痛のために無理な姿勢での歩行(跛行)を余儀なくされ、そのため膝に負担が加わり易い状態になり、また、右治療のために安静を必要とすることから、下肢の筋力低下等(廃用化)を招き易い状態にあつたことが認められる。

また、CMT病自体が一般にその進行は極めて緩やかで、急激に進行することはなく、日常生活にさほど支障を来すことはないとされていることは、前記2で認定したとおりである。

(三)  以上の事実関係と本件事故がなければ原告の歩行障害を急速に増悪させることはなかつたとする旨の名迫医師の証言及び鑑定の結果を総合して考えると、原告の同事故後に現れた著しい本件歩行障害については、両下肢の筋力低下の増悪、脱力と左変形性膝関節症がその主原因であり、しかも、右の事情は同事故によつて負つた股関節部打撲等の傷害とこれに起因する疼痛、膝への負担の加重等によつて生じたものと認めるのが相当であるから、本件歩行障害と同事故との間の相当因果関係を肯認できるというべきである。

(四)  この点について、被告らは、原告の本件歩行障害はCMT病による下肢の筋力低下とこれに起因する膝関節症、さらに加齢が加わつて生じたものであつて、本件事故との間に因果関係はない旨主張する。

たしかに、これまでに認定説示した事実関係によると、原告には、本件事故以前からCMT病による下肢の知覚障害、筋力低下等がみられ、軽度とはいえ歩行障害が存したことは被告ら主張のとおりであるし、また、証拠(乙一五号証の一、名迫医師の証言)によると、原告のCMT病による下肢の筋力低下等が前記左変形性膝関節症を起こし易くしたとみることができる。

しかしながら、これらの事情を十分検討してみても、前記(二)、(三)で判示したところからすれば、本件事故が本件歩行障害を増悪させたことは否定し得ないものであつて、本件歩行障害と同事故との間の相当因果関係を否定するまでには至らないというべきである。

そして、被告ら主張の右事情は、被告らの抗弁1(既往症の寄与)の問題として、後記三6(四)で検討するのが相当である。

(五)  したがつて、原告の本件歩行障害と本件事故との間の因果関係に関する主張は理由がある。

三  原告の損害額の算定

1  治療費(争いがない) 金七三万〇一五〇円

2  通院交通費 金四万六〇八〇円

原告が井元外科に合計四八日間通院したことは前記のとおり当事者間に争いがなく、また、右事実と証拠(甲三号証、乙五号証の五)及び弁論の全趣旨を総合して考えると、原告が前記自宅から井元外科(明石市和坂稲荷町所在)までの通院にバス等を利用し、その利用代金額が合計四万六〇八〇円(一回の往復料金は金九六〇円)であつたことを認め得ないではない。

3  入院雑費 金六万一六〇〇円

原告が同病院に合計八八日間入院したことは前記のとおり当事者間に争いがないところ、原告の本件受傷の内容と程度等に照らすと、右入院期間中の入院雑費は、一日当たり金七〇〇円の割合(原告の主張に従う)によるのが相当であり、これを合計すると、金六万一六〇〇円となる。

4  休業損害 金一六五万二二四六円

(一)  原告が本件事故当時保田工作所に勤務していたことは前記二で認定したとおりであり、また、証拠(甲五、六号証、原告本人の供述)及び弁論の全趣旨によると、原告は、昭和六二年において、同社から少なくとも年額金三一二万四七一五円程度の収入を得ていたが、本件事故後は同社で就労できなかつたことが認められる。

(二)  そして、前記二で認定説示した原告の本件事故後の症状に照らすと、原告主張のとおり、同事故当日の昭和六三年八月五日から前記症状固定日の平成元年二月一三日までの合計一九三日間にわたつて就労できない状態にあつたと認めるのが相当である。

(三)  そこで、前記年収額を基礎として右期間中の休業損害額を算定すると、次の算式により、金一六五万二二四六円(円未満切捨て。ただし、原告の主張に従う)となる。

三一二万四七一五(円)×一九三÷三六五=一六五万二二四六(円)

5  受傷による入通院慰謝料 金一四〇万円

原告の本件受傷の内容と程度、入通院期間や治療経過、本件事故の態様その他諸般の事情を総合考慮すると、原告の受傷による入通院慰謝料は、金一四〇万円が相当である。

6  後遺障害による損害 合計金一八四二万八一四二円

(一)  原告の後遺障害の内容と程度

前記二で認定説示したところによると、原告の本件事故の後遺症のうち、本件事故と相当因果関係があると認めるべき症状は、本件歩行障害に限られることになる。

そして、右認定説示、殊に原告の両下肢の筋力低下、脱力と左膝関節痛の強さ、これによる立位の保持と単独歩行の困難さには著しいものがあること、そして、原告は、神戸市から、体幹の機能障害による歩行障害等が認められるとして身体障害者等級二級に該当する旨の認定を受けていること、さらに、伊東医師は、原告の症状について、到底普通の生活はできない状態にある旨証言していることなどを総合して考えると、原告の本件歩行障害は、自賠法施行令後遺障害等級三級三号(「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」)に該当し、又はこれに準ずる程度にあるものと認めるのが相当である。

この点につき、乙一五号証の一の中には原告の右後遺障害の程度についてこれをせいぜい七級程度とする部分がみられるが、右は、その内容自体から明らかなように、原告に対する診察、検査を直接行つた上での判断ではない上、前記認定説示に照らして検討すると、直ちに採用し得るものではないし、そして他に以上の認定判断を左右するに足りるだけの的確な証拠はない。

(二)  逸失利益

(1) 右認定の事実といわゆる労働能力喪失率表を総合して考えると、原告は、前記症状固定日の満四六歳から就労可能とされる満六七歳までの間の二一年間にわたつて、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認めるのが相当である。

(2) そして、昭和六二年の前記年収額金三一二万四七一五円を基礎として、中間利息の控除につき新ホフマン計算方式を用いて、原告の逸失利益の現価額を算定すると、次の算式により、金四四〇七万〇三五五円(円未満四捨五入。以下同じ)となる。

三一二万四七一五(円)×一四・一〇三八=四四〇七万〇三五五(円)

(三)  慰謝料

原告の本件歩行障害の内容と程度、現在の生活状況その他諸般の事情を総合考慮すると、原告の右後遺障害による慰謝料は、金二〇〇万円が相当である。

(四)  既往症の寄与(被告らの抗弁1)

(1) 前記二4で認定説示したところによれば、原告の本件事故による後遺障害と認めるべき本件歩行障害について、原告の既往症であるCMT病による筋力低下等及びその進行が少なからず寄与していることは否定できないところである。

(2) そして、本件の原告のように、本件事故以前から被害者に存在していた疾患が損害の発生、拡大に寄与したものと認められる場合には、民法七二二条二項を類推適用して、これを損害額の減額事由として斟酌し得ると解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷昭和六三年四月二一日判決・民集四二巻四号二四三頁、同第一小法廷平成四年六月二五日判決・民集四六巻四号四〇〇頁参照)

(3) そこで、前記二で認定説示した全事実関係、特に、原告の場合、CMT病は下肢の筋力低下自体だけでなく、左変形性膝関節症についても右筋力低下を通じて寄与していると認めるべきことに加え、鑑定の結果において、CMT病が本件歩行障害に寄与した割合は、明確には分からないけれども、三分の一から二分の一程度に及ぶとされていることをも総合して考えると、本件において、原告の右既往症が寄与した割合は、これを六割と認めるのが相当である。

なお、原告の被つた被害のうち、前記1ないし5の治療関係費や休業損害、入通院慰謝料等の損害については、専ら本件受傷の治療自体のために発生したと認められるから、右既往症の寄与を理由とする減額を行うのは相当でないというべきである。

(4) よつて、被告らの抗弁1は、右の限度で理由がある。

(五)  以上に従つて、前記(二)及び(三)の後遺障害による逸失利益及び慰謝料の合計額金四六〇七万〇三五五円についてその六割を減額すると、原告の損害額は、金一八四二万八一四二円となる。

7  以上の損害額を合計すると、金二二三一万八二一八円となる。

四  過失相殺(被告らの抗弁2)について

1  前記一判示の事実と証拠(甲二号証の二ないし四、原告本人の供述)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  本件道路は、国道二号線でいわゆる幹線道路であり、本件事故現場は、同道路明石陸橋の西詰終点付近に位置している。

本件道路西行車線は、陸橋上においては幅三・五メートルの車道とその南側の外側線から一・一メートルを隔てて陸橋側壁が設けられているところ、陸橋西詰終点付近から側壁がなくなり、同所から西方においてはその南側で並行している側道(西行一方通行)が接続している。

なお、本件道路は、制限速度が時速五〇キロメートルとされている。

(二)  そして、本件事故現場付近では、本件道路は直線であり、見通しは良く、本件事故当日、路面は乾燥していた。

(三)  原告は、前記日時頃、出勤するため、ヘルメツト着用の上、原告車を運転し、本件道路西行車線の外側線付近上を時速約四五ないし五〇キロメートルの速度で走行していた。

(四)  一方、被告美枝子は、被告車を運転し、西行車線の車道が渋滞していたため時速約二〇キロメートルの速度で車道中央部分を西進していたが、前記陸橋西詰終点から左方の側道に入ろうとし、同地点から東方約一三・四メートルの付近で、左折合図をするとともに、一旦左後方を確認したところ、後続車両には気付かなかつたため、後方の安全をあらためて確認することなく、また、予め進路を左方に寄せることをしないまま、約一五キロメートルの速度で陸橋西詰終点付近から左方にハンドルを切つた。

(五)  そして、被告美枝子は、右地点から道路を左方に変更しながら約五・三メートル西進した地点において、原告車が被告者の左側部に衝突したことに気付き、ブレーキをかけたが、右衝突によつて、原告は、路上に転倒した。

なお、原告は、右衝突の直前まで、原告車の右前方を走行していた被告車の進路変更の動きに全く気付いていなかつた。

2  以上の認定の事実関係に基づいて考えると、本件事故は、前記一で判示したとおり、主として、被告美枝子が進路を変更するに当たり左後方の安全確認を怠つた過失によつて発生したものといわざるを得ない。

しかしながら、原告についても、渋滞中の車両の左横を通過して走行するに際しては、前記陸橋西詰終点では左方から側道が接続しているため、先行する車両が付近から進路を左方に変更しようとする場合のあることは予見し得たものであるから、同車両の動静に注意した上、左折合図をした先行車両についてはその進路の変更を妨げないように走行すべき義務があつたといわなければならない(道路交通法三四条六項参照)。

しかるに、原告は、前記認定のとおり、被告車の左方合図や進路変更の動きに気付かず、何らの対応をも採り得なかつたというのであるから、本件事故の発生については、原告にも右注意義務を怠つた落度が存在し、それが同事故の発生に寄与したというべきである。

3  そして、これまでに認定説示した被告美枝子の過失の内容と程度、同被告の進路変更開始の位置と態様、本件道路の状況等を総合考慮すると、原告の右過失が本件事故の発生に寄与した割合は、これを二五パーセントと認めるのが相当である。

したがつて、被告らの過失相殺の抗弁は、右の限度で理由がある。

4  そこで、前記三7の損害合計額金二二三一万八二一八円について右の割合に従つて過失相殺を行うと、原告の損害額は、金一六七三万八六六四円となる。

五  損益相殺

原告が本件事故によつて被つた損害に関して合計金三九四万六三二八円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。

そこで、右金員を前項の損害額金一六七三万八六六四円から控除すると、原告の損害額は、金一二七九万二三三六円となる。

六  弁護士費用 金一三〇万円

本件事案の内容、本件訴訟の審理経過及び前記認容額等を総合すると、本件事故と相当因果関係があると認めるべき弁護士費用の額は、金一三〇万円が相当である。

七  結論

以上によると、原告は、被告ら各自に対し、損害賠償として、合計金一四〇九万二三三六円及びこれに対する本件事故発生日である昭和六三年八月五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができるというべきであり、原告の本訴請求は、右の限度で理由がある。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 安浪亮介)

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